第11話 自分の書を探して2 撥鐙法 岩井笙韻

※撥鐙法(はっとうほう)

 前回、『手習い』と言う話をしました。
私がこの話に興味を持ったのは実は次のようなことがあります。

 展覧会などで、書家の作品はいつも目にしているわけですが、思いも寄らぬところで素晴らしい書を目にすることがあります。それは、書家とは異なる世界の人の書いたもの。一例を挙げると、

  熊谷守一    画家
  高村光太郎   彫刻家、詩人
  中川一政    画家、詩人
  会津八一    歌人、学者

 熊谷守一は、池袋に小さな美術館があるので一度行ってみると良いでしょう。絵画としてもある意味和風で独特ですが、書はすごいです。書家仲間で先輩の廣畑築州さんに言わせれば、良寛を超えているとのことです。私の印象では、良寛の方が<書家的>なのです。良寛は予想に反して、筆や紙をかなり選んで書いているのに対して、熊谷守一はそのあたりはお構いなし。却って小さなシールに書いたものに雰囲気が出たりしている。
又、書いてくれと頼まれると、断るのが面倒なのでどんどん書いてしまったと言うこともあって、出来不出来もありますが。  高村光太郎は、ご存じ『智恵子抄』で有名ですが、実際には父の代から彫刻家です。しかし、彼の文章に『書の深淵』と言うのがあり、書が実用性と芸術性のこんがらかったところに位置していて、それが深みを帯びさせる、と言うようなことを書いています。そして、光太郎自身も書が最後の芸術であることを十分に意識していて、晩年はかなり書に打ち込みました。その書はなかなか厳しいものもあり、熊谷守一よりもとがっている感じはあります。しかし、『人体豊麗』と書かれたものなど絶品です。
 次に中川一政。高名な画家ですが、元々は歌や詩を書いていました。それが絵を褒められて画家になってしまったと言う。だから、専門的に学校で絵画を習ったわけではなく、その事が独自の画風を生むのですが、若いうちはかなりの間コンプレックスになっていたようです。その彼が、金冬心の書を見て赤面するほど心がふるえたと言っています。実際、中川一政の字は無骨で、まさに彼が言うように『裸の書』と言うにふさわしいものですが、彼が金冬心に影響されたと言うよりは、彼の持ち味が金冬心のようなタイプだったのだと思います。私の個人的な感想では、彼の書には力があるが、本当に感心する書は何点かで、後はあまり無骨すぎてそれほど好きではありません。しかし、その良いものはとてつもない人の力を感じさせます。ついでに言うと、何でもずけずけ言ってしまう人ですが、若い頃の『野の娘』というのは良い詩集ですよ。深い情を感じます。これから私もその中の詩を書いてみたいと思っています。
 会津八一については前の回でも少し述べてみましたが、彼らに共通するのはやはり、何らかの形で書とは別の姿で筆を持っていると言うことです。特に高村光太郎は彫刻刀を持つ。刀の持ち方で筆を持って書いているのではないか。会津八一は絵も上手です。
 会津八一は、三尺もの長い線を一筆で書くことは画家には出来ないもんだと言っています。確かに、絵は何回も塗っていくので、線の息は短いと言えるでしょう。だから、絵画でも墨絵の描き方は書に近いかも知れません。
 それともう一つ、どうも、彼らは皆、小さい文字を書くときにも右手の肘をつけずに、又、枕腕(左手を枕のように右手にあてがう)事もせずに書いているようなのです。
 良寛もそうだったという話を聞いたことがあります。
会津八一の写真集に、彼が書を書いているところが撮ってありますが、その筆の持ち方は、あの中国人の持ち方、すなわち、親指と人差し指でまず筆の上をつまみ、下の方を中指と薬指で押さえる。つまり二点で筆を支えるあのやり方です。
 昔から『撥鐙法』と呼ばれる筆の持ち方があるとされていて、これが本当にその持ち方なのかどうかは確信が持てませんが、会津八一はそのように考えているように思います。
 ある日、駅のホームで、暇だからステッキで地面に渦巻きを書いていると、それを見ていた書家が、「これは、撥鐙法ですね。」と言ったらしい。それに対して、会津八一は、さすがに年期の入った書家は見ているものだ、と言っていますから、そうなのでしょう。
会津八一が言うには、長いステッキの先を持って地面に安定した渦巻きが書けたり、長い直線が書けたりすれば、短い筆で書けないわけがないと言っています。
 『書く』と言うことは、必ず、墨やペンなどの書くものと、紙が必要になります。と言うことは、その二つが出会うところには摩擦が生まれるわけで、逆にその摩擦を利用して私たちは線を進めていくのです。しかし、心が不安定なときや、力仕事をしたとき、又そうでなくても一定の太さであらゆる方向に縦横無尽に線を引くことはとても難しいことです。
 会津八一にとっては、このように、自由にあらゆる方向に線を引けるような訓練を『手習い』と言うのです。
 前回にも述べたように、誰も自分の書というものを持っていて、それを表現するのが目的だとしても、やはり、線を引くと言うことは筋肉運動であり、心身のバランスが微妙に関わり合ってくるものです。
 私は今この『手習い』を実践している最中なのですが、そこには、自分も枕腕でないと細楷が書けないという理由もあるのです。枕椀ではどうしてもやや線が平べったくなります。腕の動きの柔さが損なわれてしまいます。どんな大きさのどんな書体の文字も自由に、腕の動きを殺すことなく引けたらそこには自分の本当の表現が出来るような機がします、少なくてもその条件が出来るような機がします。
 よく、楷書の名品の中に『九成宮』や『雁塔』がありますが、それらを練習するときに大抵は半紙に六文字くらいの大きさで練習していませんか?しかし、それらの名品の学習用の書籍の中には、半紙での練習用に、かなり現物を拡大して印刷しているものがあります。よくその姿を見てみると良いです。相当おかしなものです。決して名品には見えないと思います。二玄社あたりから出ているものが、あれが実物大(か、少し小さめ)なのです。大小を変えたら使う筋肉も違うでしょう。だから、まずは実物大の練習が良いのです。 さてやってみましょう。
『雁塔聖教序』を半紙に7文字×4行でかくと、ちょうど実物大くらいになります。それで約三十枚くらい。五時間半くらいかけると丁寧に出来ます。
 そこで分かること。本当に心身共に充実しているときはいつもの五感と異なる状態になる。心がかけても、筋肉が出来ていなくてもダメ。
 今のところ、その状態は十パーセント未満ですが、そのくらいの経験は得られました。手習いと目習いでその確率を上げていくともっと自由に線を引けるようになると思います。練習を終えると、右手は初めての運動をして時のような疲れを感じます。しかし、それが新しい方向への旅立ちかも知れません。どうなるでしょうか。

 

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