第19話  作品の鑑賞   岩井笙韻

さて今日は、私の神事の師、合田先生から伺った話から・・・。
美術館に行くと、長蛇の列を見ることがあります。かの有名な『モナリザ』が日本に来たときなど、それはもう大変なものでした。人数が半端ではないので、どうしても立ち止まってゆっくり見ることが出来ません。その時に感じるのは、動物園に行って、コアラやパンダを初めて見たときと変わらないなあ、ということです。そこで、周りを見回してみる。すると、モナリザもパンダも同じような人が見ているように感じてしまうではないですか!(ということは自分も・・・。)
 自分のことは棚に上げて、本当にこの人達に作品が鑑賞できているのだろうか等と思ってしまうのです。しかし、物珍しげに「あれがパンダだよ。」というのと、「これがモナリザか。」というのと実際にはどこが違うのでしょうか?その辺のところが今日の課題。
 私の師が言われたことをまとめてみると次のようになるのだと思います。
 ある時、あなたが映画を見に行ったとします。暫く前から見たいと思っていたのですが、なかなか時間がとれないのと、映画の前評判が良かったので混んでいるらしいと言うことを耳にしてこれまで足を運ばなかったのです。
 入ってみると・・・。今日は空いているようだ。中にはいると数名しか観ていない。しめた、と思います。これしか観客がいなかったら、少しくらい足を投げ出しても、おせんべいをバリバリ食べても周りに迷惑をかけることはないだろう。ラッキーです。何の問題もありません。そのまま映画を観て、少しお腹も一杯になって映画館を後にします。
 しかし、今度は映画でなく、サーカスだったらどうでしょう?
郊外の広場に建てた大テント。○○サーカスがやってきている。これも一度は観たいと思っていた。そこでテントをくぐり中に入る。すると・・・。


 そこには数人の観客しかいないのです。


 その時あなたは、映画の時と同じようにラッキーと思えるでしょうか?
舞台の中央では、まばらな観客を前に、ピエロが一生懸命面白いことをやっている。
その時、あなたの心には何かもの悲しいような、ピエロに申し訳ないような奇妙な気持ちに駆られるのではないでしょうか?


   まばらな客席から、楽しみにしていたサーカスを観る時、あなたの心には、

   理由を探すのが悲しくなるような何かが、こみ上げてくるかも知れません。

   (『神のみる夢』合田和厚)


 映画とサーカス、何が違うのでしょうか?
スクリーンは生きているわけではありません。そこにいかに素晴らしいドラマが流れていようと、そこでは今日も明日も同じものが放映されているのです。その事を、観るものは当たり前のこととして考えています。だから、途中で映画館を後にしても、あるいは眠くなって寝てしまっても、何の問題もないのです。
 しかし、サーカスは違います。舞台の中央のピエロ、そして、猛獣使い、皆観客に向かって何かを一生懸命表現しているのです。そこに生の<人>がいるのです。観るものは、テントをくぐった瞬間、その事を意識せずして理解してしまします。だから、もっと客が多かったらいいのにと思ってしまう。思わず大きな拍手をしてしまう。ピエロに申し訳ないような・・・。そして、


    その心をもって  作品を見るべきだ
    

というのです。
 目の前に人間がいて、その人に向かうとき、そして彼の方でもこちらを向いているとき、そこには必ず無言の対話、無言の交流が出来てしまうものなのです。美術館に行けば、書であっても、絵画であっても同じように多くの作品が展示されています。その作品一つ一つを前にして、私たちはまるで映画を観るように観てはいないでしょうか?しかし、もしも作品一つ一つにそこでピエロが演技しているように観ることが出来たら・・・。その作品の中に作者の生きる姿を見ることが出来たら・・・。そうしたら、言葉を交わしていなくても、ピエロと観客の間に無言の交流があるように、作品も多くのことを語ってくれているように思えるのです。
 今述べたことを、出来るだけ『名品』とされている作品で試してくださいね。そうしないと変なことも起こりえます。というのは、最低のこともあり得るからです。例えば、ピエロが、観客が少ないことでくさってしまって。適当にいい加減な演技をしたとき。今度は、いかにまばらな客でも、同情するどころかしらけてしまったり、怒ってしまったりするでしょう。実際に、良い表現をしている作品というのは少ないものなのです。テクニックは優れていようと、作者の心が作者自身にしか向かっていないような、我が儘なものを表現しているだけでは、その訴えはごく少数の者にしか通じないでしょう。
 でも、逆に考えると、それでも良いのかも知れませんね。いい加減なピエロの中に突然素晴らしいピエロが出来たりするのも良いじゃないですか。却ってその素晴らしさが目立って、心に残ることがあるかも知れません。
 このような心の持ち方を、心のレッスンだと思って是非試してください。慣れてくると、芸術作品だけでなく、身の回りの物の中にこれまで気付くことのなかった<訴え>を感じることもあるかも知れません。イス、湯飲み、あるいは衣服、それぞれ誰かが何かを思って作った物なのです。沢山の声が感じられるとき、私たちの日常の心の持ち方が少し変わってくるかも知れませんね。

 

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